【震災後の私の試練 16】

Pocket

2011年 
3.11の震災のあった年

3月11日に震災が起きて

その5日後の午後に
弟(次男・専務)が現場の高い所から
転落したと事務所に連絡が入りました

弟は、すぐに救急病院に運ばれたそうです

震災が起きた直後だった為に
病院に行く道中
信号機はとまっているし

夜は電気もついていない
そんな状況の中でした

弟は外傷性のくも膜下出血になっていました

そして体を強く打っているために

あばら骨が折れていたり
そこらじゅう打撲

そして怪我をしていたので
何箇所か縫ってありました

幸い意識はかろうじてあり
多少 会話をすることが出来ました

手術をする必要はないと言う事で
ほっとしましたが

後に

弟は後遺症が残り
食べ物の味が全くわからなくなり

少しの物音でも
すごい頭痛がしたり

体のあちこちが痛いなど

本人しかわからないであろう苦しみと戦うのでした

次男の弟が仕事に復帰するまでの期間は

長男の弟が、
かなり酷い状態での
くも膜下出血で入院した時よりはるかに長くかかりました

弟は精神的にも
かなりのダメージを受けていたのだと思います

そしてその数ヶ月後のGWに
私は被災地に向かいました

被災地で大変な思いをしている
友人達に会いたく

このアメブロでご縁を頂き
まだ1度も会った事はないけれど

その友人達が大変な思いをしている

私が行っても何も出来ないけれど

必要であろうという水などの物資を持ち
私は東北へ向かいました

TVで流れてくる情報だけではなく
被災地に足を運び

自分の出来ることを
1つでも見つけたかったのです

その思いで被災地に向かいました

そして大切な友人にも会え
また必ず来ることを約束し

東北を後に東京に帰ろうとしている
GW最終日の東北自動車道

ちょうど福島県あたりで
母からの電話

体調が悪いんだけど
まだ東京に戻って来ていないの?という電話でした

まだ福島なので東京に戻るまでは
時間がかかるので
弟(長男)に電話して病院に
連れて行ってもらうよう伝え電話を切りました

その後 母は弟に病院に連れて行ってもらい
検査の結果
脳梗塞だとわかり

緊急入院

私は東京に戻り
急いで病院に駆けつけました

奇しくも弟(次男)が運ばれた病院
そして同じ集中治療室で治療を受けていました

4度目の脳梗塞

そして母は左半身不随
言語に障害が残り

車椅子生活になりました

会社全般のこと
経理、お金の関係は母がほぼ
やっていたのですが

この日を境に引継ぎもなく

その仕事全てを
私はやる事になったのです

そんな中
弟(次男)は仕事復帰が出来ないまま自宅療養が続き

お金の管理、仕事全般を見ていた母が
仕事が出来なくなり介護が必要になり

そして弟(長男)は社会復帰しているものの
記憶障害があるために

お金のことや契約など
全面的に弟1人には任せる事は出来ない

私は頼るすべもなく心細かった

でも

今ここで私がくじけたら
前に進まなかったら

会社も家族もどうなってしまうんだろう

私は泣いてなんかいられなかったのです

 

つづく


人気ブログランキングへ